「2002年5月16日の日記」



2002年 5月16日 晴れ

近所に建っていた古い民家が取り壊されていくのを、ぼんやりと眺めて過ごす。
ショベルカーに突き崩されていく民家、喉の奥にまで飛び込んでくる砂埃と木の割れる匂い。
開きかけの本のように半分切り崩された民家の前で、僕はただただぼんやりとしていた。
削り取られた扉の向こうに、小さな台所と足の長い木の食卓が見えた。
薄暗がりに取り残された真昼の食卓、不自然に露出した余りに自然な家族の風景。
その中に、ほんの一瞬だけ幻を見た気がして、
近づけば咳込むほどの砂塵に塗れた扉の向こうから、
今にも濡れた手をエプロンに擦り付けながら母が姿を現すような気がして、
僕は足元から立ち昇るアスファルトの熱に揺られながら、ぼんやりとその瞬間を待ってみる。
けれど、どれだけ時間を費やした所で時は流れのままに過ぎ去り、幻も幻のままに流れ、
それでも、その小さな台所から僕の足元へ流れてくる涼やかな午後の空気は、
鋭い5月の日差しを、唸るショベルカーのエンジン音を、舞い散る砂塵の苦味を幻に変え、
ぼんやりとした僕の心の中に真昼の母の背中を呼び起こして見せた。
無為を無為と感じず過ごしていた頃の、小さな午後の風景を呼び起こして見せた。